♪ この世に生を受けた時 ♪
誕生日です。
47年前の今日、江別市江別太585番地にて私は生まれました。
(会社から2キロくらい離れた農村地域です。)
私は子供の頃は体が弱く、風邪、腹痛を繰り返していたひ弱な子供でした。
小学校に上がる前の冬に風邪を引いて熱が上がり、母に「おんぶ」してもらい離れたバス停まで行き、そこから6キロほど離れた江別の街までバスに揺られ、病院に行った記憶があります。
当時は病院というと必ず注射・・・・・泣かなければお菓子を買ってあげる。と言う母の励ましで一応は我慢するのだが、先生の「注射」の言葉だけで恐怖で泣いた・・・・
そして泣いたのにお菓子を強請るズルイ僕・・・・
そして小学校に入学、入学式にも先ほどのバスで行き、小学校前で降りるはずが、もたもたしている自分は降りる目の前でドアが閉まりバスは走り出す・・・・
その時も「降ります!」ではなく泣き叫んでバスを止めてもらう・・・・
こんな軟弱で身体の弱い子は学校に毎日行けるのかと心配をかけながら、風邪や腹痛で年間の3分の1を欠勤しながらも学校に通い4年生になる前でした。
今度4年生の担任になる先生が、評判の「熱血で怖くて顔を見ただけで背筋が伸びる・・・」その先生になったのです。
丁度6年生で卒業した姉のクラスを担任していた先生でしたから、その先生の「素晴しさ」(僕には恐怖)をよく姉が母に話しているのを聞いていましたから、その先生が4年生の担任と聞いた日には母は大喜び・・・・私は恐怖・・・・
頭が悪くて、ひ弱で、軟弱な僕を、調教の上手なサーカスに預けるような気持ちで家族は喜んでいるのです。
そして姉からの予備知識で怯え、今までいつも甘えさせてくれていた母から突き放され、
恐怖の先生の4年生に進学・・・・・
新学期の初日、先生の顔を見たとたんに貧血になり医務室に連れて行かれる僕・・・・
優秀な姉と比較され、厳しい言葉ではなく、僕の弱さを一言二言で指摘され、それがとても恥ずかしく感じた記憶があります。
先生とはその後も1対1で殆ど話すことなど恐怖で殆どなかったのですが、その先生独流の生徒一人一人との交換日記が始まり、恐る恐る自分も出すようになりました。
「今日は学校から帰ってから○○君と近くの川に釣りに行きました・・・・」こんな日記を先生に渡すと、翌日先生から「私も釣りは好きですよ。特に釣れた瞬間よりもどんな大物が連れるか想像しながら竿の先を見ているのが楽しいです。」とお返事をいただき、次に釣りに行ったときに先生の姿を思い浮かべながら自分も同じようにしてみると、なるほど落ち着くのと、釣れていないけど楽しいんです。
そんな日記交換をすることで、先生の怖さより先生の笑顔が好きになり、いつも笑顔を思い出すようになりました。
そして、この先生の得意とするお説教の時間・・・・大体毎日1時間はみっちりお説教です。
「子供はこうであるべきだ!それは何故?」「 男女はこうあるべきだ!それは何故?」「 友達同士はこうあるべきだ!それは何故」
「大人と子供はこうあるべきだ!それは何故?」 こんな風にあるべき姿と現在の姿の違いを話され、そして何故そうする、そうしていくべきなのか 殆ど毎日そのようなお話を聞きました。
そしてそのお説教の時間、クラスには何人も泣く子が出始めました。
泣く理由は先生が怖いからではなく、今までの間違った自分を悔しがったり、あの人あの友達に迷惑をかけたから、などの理由からなのです。
ですから先生のお説教を聴いて自分を振り返ると泣いたり悔しかったり悲しかったりしますが、最後にはみんな感動していました。
そんな記憶をよみがえらせてくれた今年の誕生日・・・・・この先生を初め、多くの大人や同級生や仕事関係や友人から 物ではない沢山の贈り物をいただき続けてきたことに気がつかされます。
私の人生間違いなく折り返しを始めた自分ですから、形の無い贈り物をいただいたときの感謝の気持ちと、回りの方に贈り物を差し上げる自分になることを忘れないで折り返しの人生を楽しみたいと思います。
47年前の今日この世に生を受けたことに世界に深く感謝します。 ありがとうございます。
(下の写真は去年の9月にツーリングに行った時の写真です。ヘルメットを被った後なので髪はぐしゃぐしゃ、だらしない格好、楽しさで緩んだ顔になっています。翌日起きたハプニングなど想像もしていないひと時です。)